Original Confidence 7月号掲載インタビュー

JASRAC賞金賞を2年連続で受賞

「メロディーはいつも降ってきているもの。
でも頭をか空にしないとキャッチできない。」

5月に発表されたJASRAC賞でAKB48「ヘビーローテーション」が2年連続となる金賞(年間1位)を受賞した。CD売上げのみならず、放送、カラオケなど、あらゆるシチュエーションでの楽曲使用に伴う著作権使用料分配額の総計で決定する同賞を2年連続で獲得するのは、同賞の歴史の中でも3曲しかない。

同楽曲がまさに国民的なヒット曲に育ったことを意味するが、AKB48作品を代表する作品ともなったこの曲は、どのようにして生まれたのだろうか。
7月の「TALK about HITS」は特別編として、通常とは一味違うラインアップとなるが、「今週はその第1弾として「ヘビーローテーション」を作曲した山崎 燿氏に登場してもらった。

「自分を奮い立たせるために書いた曲」

インタビュアー:5月に発表されたJASRAC賞では、作曲された「ヘビーローテーション」が2年連続となる金賞をじゅしょうしましたね。

山崎:ありがとうございます。毎日どこかで曲がうまれ、ヒット曲が週単位で入れ替わってしまうような昨今、2010年に発表したこの曲がいまだに愛されている。演歌の売れ方にも似た、息の長い愛され方をしていて本当にうれしい限りです。

インタビュアー:JASRAC賞はCD売上げのみならず、放送、カラオケなど、さまざまな分野で使用された楽曲に贈られる賞ですが、その点について、特別な感想はありますか。

山崎:なぜこんなにヒットしたんでしょうかね。自分でもわからないというのが正直なところです(笑)。曲が完成して初めて気づいたことなのですが、「ヘビーローテーション」のサビの部分は、実は1音づつ上がっていく音階、つまり「ド、レ、ミー」なんです。この単純な旋律の繰り返しの後ろで、コードだけが移り変わっていく。自分としてはこのおもしろさに、筆がのるまま作曲していただけなのですが、今思えば、単純で耳に残るフレーズがひとえに良かったのではないかとも思います。実はこの曲は、もともとAKB48のために作ったものではなかったんですよ。家族の健康の問題などでちょっと参っていた時期に、「こんなことじゃダメだ、自分がしっかりしなければ」と、いわば自分を奮い起こすためだけに書いた曲でした。だからデモはベースとドラムとギターのみというシンプルな構成で、「勢いだけ」という、ほとんどメロコアのような音だったんです。その後、コンペがあったので提出してみましたが、AKB48のシングル曲としては「ちょっと違ったかな」とも思っていました。

インタビュアー:どのへんが違うと。

山崎:コンペでの秋元康さんからのオーダーは、「メロディーがアッパーで元気のいい曲」というものだったので、極端に遠いわけではないですが、なにしろ元曲は、グリーン・デイとか、あるいはモトリー・クルーあたりに、「ごりごりに演ってもらったら似合うだろうな」と思える曲調でしたから。完パケを聴いた時には、あのパンキッシュな曲を、彼女たちが歌ってもまったく違和感のないおしゃれな曲によく仕上げたものだと感心しました(笑)。

インタビュアー:AKB48には、ごく初期から関わっていますが、秋元さんとのそもそもの出会いはどのようなものだったのですが。

山崎:おニャン子クラブの後、いっとき秋元さんがロックユニットを構想していた時期があって、そのコンペ用の曲を書いたのがきっかけです。振り返ってみると、本当に秋元さんとの仕事は毎回毎回コンペばかりですね。もうほぼ諦めていますが、1曲でいいから指名で書かせてもらえないかなあと思います(笑)。そうなったら、もう喜んで作りますね。

インタビュアー:そういえば「転がる石になれ」も「AKB参上!」も、山崎さんがAKB48のために書いた曲は、比較的ハイテンションで、例えばハードロックになってもおかしくないようなものが多いように感じます。

山崎:そうかもしれません。僕はもともとピアノをやっていたのですが、バンド活動を並行してやっていた時期もあって、ギタリストに対する憧れがすごく大きいんです。ずいぶん練習しましたが、残念ながらモノにはならず、でもコードを弾くくらいならできるので、デモの段階では、ついギンギンにギターを入れてしまいます。

インタビュアー:リスナーにAKB48楽曲のロック的側面も歓迎されているように思います。「ヘビーローテーション」あたりから、キーを変え、よりハードなアレンジを施したものなど、AKB48楽曲の、男性による「歌ってみた」バージョンが、動画投稿サイトなどにアップされるケースが増えた気がしますし。

山崎:学園祭や文化祭で、バンドがコピーしているという話は聞きますが、そういうこともあるんでしょうね。なんだか不思議な気分です。でも、AKB48のごく初期の頃は、「80年代ディスコ風で」といった発注も多かったんですよ。僕の楽曲で最初に使われた「夏がいっちゃった」はまさにそれでした。「AKB参上!」も、最初に劇場で披露されたときは、まるでWinkのようでしたし(笑)。その後、大きな会場で公演されるようになり、リアレンジされた「AKB参上!」はバリバリのロックになってましたし、そこはやはりアレンジャーの腕によるところでしょうね。

「ドラマの音楽プロデュースなど多彩な仕事も」

インタビュアー:ちなみに、普段はどのような環境で作曲するのですか。

山崎:僕の場合、普段はあまり音楽を聴きません。その代わり、聴くときはかなり集中して聴きます。というのも、曲を作るというアウトプットの作業が続くと、どうしても視野が狭まってしまう。エネルギーの放出とともに、視界の脇のほうにあるものが見えなくなってしまうんです。ですから、そのあと充電のために聴く。そうすると再び、「こんなのもあったな」と周囲のいろいろなものが見え出す感じです。それと、作曲する時はなるべく頭を空っぽにしておく。メロディーは、きっといつでもそこここに「降って」きているもので、頭を空にしておかないとキャッチできないものなんだなと、最近気づきました。

インタビュアー:そもそも作曲に目覚めるきっかけはどのようなものだったのでしょうか。中学校で室内楽部に所属していたそうですが、その頃、自然にという感じだったのですか。

山崎:気がついたら作曲に興味を持っていたという感じなのですが、その前段階もあるんです。音楽への興味の持ち始めは、まったくもって不純なもので、幼稚園の頃、3歳からピアノをやっていた女の子が同じクラスにいまして。僕は言うなれば「ジャイアン」的なガキ大将だったのですが、彼女が演奏しているのを見て、「おい、俺にも教えろ」と詰め寄ったんです。自分に未知の世界があるのが悔しかったのかもしれませんが、気がついたら1ヶ月後には何となく弾けるようになっていました。その女の子と、彼女の教え方がすごかったということに尽きるのですが、その後、親に「ピアノをちゃんと習いたい」と自分から頼みました。次の転機は小学校高学年の頃で、3歳上の兄がロックにハマったのを機に、弟の僕ものめり込みました。「ムソルグスキーの『展覧会の絵』をロックでやるなんて」と、エマーソン、レイク&パーマーなどのプログレには特に入れ込みましたね。クラシックを継続しながら、後にバンド活動も始めましたが、それでも音楽で食っていこうとは、その頃は露ほども思っていませんでした。

インタビュアー:大学も法学部でしたね。

山崎:「夢は夢」としか思っていなかったのがわかりますよね。でも、大学4年の夏、浜松でバークリー音楽大学の短期出張授業のようなセミナーがあり、そこに参加した頃から僕の勘違いが始まりました(笑)。大学は卒業したものの、就職せず、「何をどうしたら音楽のプロになれるか?」と考えあぐねいていた時期に、偶然、フジパシの岩崎(淳氏/フジパシフィック音楽出版制作本部ゼネラルマネージャー)さんに出会ったんです。自分の進むべき道がコンポーザーなのかアレンジャーなのかプレイヤーなのかすらわからずにた僕に、「作曲してみたら」とアドバイスをしてくれたんですよ。

インタビュアー:幸運な縁でしたね。

山崎:曲を書いては助言をもらうという一種の修行を1年半ほど続けさせてもらいました。「洋楽はたいていAメロとBメロだけで成り立つけど、日本のポップスはAメロ、Bメロ、Cメロで成り立っていて、中でもBメロがすごく大事なんだ」という基本からはじまり、テクニックをとことん叩き込まれました。なぜ僕なんかに目をかけてくれたのか、今もってわかりませんが、今の僕があるのは岩崎さんのおかげです。

インタビュアー:12年4月期にフジテレビで放映された連続ドラマ『カエルの王女様』で音楽プロデュースを手がけていましたね。

山崎:BSスカパー!の開局記念番組「Oh!デビー」で劇中歌を担当し、その流れでやらせていただいた仕事です。かつてのミュージカルスターが故郷に帰り、地元の合唱団を立て直そうという、音楽を核に据えたドラマで、非常にやり甲斐のある仕事でした。あろうことか、端役で出演もすることになったのですが、これは自分の首を絞める結果にもなりました(笑)。何しろ、合唱団やメンバーたちが歌う名曲の数々を、毎回何曲も選曲し、コーラスアレンジを行い、作曲もし、と音楽の仕事だけでもしなければならないことがたくさんあったのに、自分の撮影まで加わったわけですから。ただ、出演して良かった点ももちろんあって、劇中に登場する合唱団・シャンソンズのメンバー役の方々と行動をともにできたことで、アレンジをする上での現場判断ができたり、誰にソロを取ってもらうかを、それぞれの仕上がりを見ながら決められたり。現場の空気そのものの中で仕事をすることができました。シャンソンズのメンバーも、譜面を渡すや、「こうするともっと良くなりそう」とアイデアを出してくれたりして、収録の最後の頃には、みんなリアルにシャンソンズという合唱団になっていましたね。素晴らしい経験でした。

「やはり、自分の本分は作曲」

インタビュアー:音楽プロデューサーとして仕事の幅は広がりましたか。

山崎:番組が始まる前こそ、「自分の書いた曲をもっと使ってほしい」という思いもありましたが、なかなかどうして40代前後と想定したメイン視聴者層の心に響くスタンダードを選ぼうと、会議では毎回、大量の楽曲を延々と聴きましたが、あれだけ人の曲で感動することになるとは思いませんでしたし、大いに自分の血肉にさせてもらいました。ただ、プロデュースの道に本格的に進むというより、やはり「自分の本分は作曲」ということに、改めて気づかせてくれた仕事でもありましたね。

インタビュアー:では、今後、どのような仕事をしていきたいと考えていますか。

山崎:作曲家としては、もっと映画音楽を手がけてみたいですね。もともとクラシックが大好きだということもあり、詞曲ではなく、メロディーだけで人を感動させてみたいという思いもあるんです。それと、これは実際に今、進行しているものもあるのですが、やはり、海外に向けた仕事をもっと手がけたい。テクノロジーは言うまでもありませんが、今や「メイド・イン・ジャパン」はアニメーションやマンガなど、文化的な領域でもどんどん海外に進出していて、それらの中で唯一国境を越えられていないのが音楽なのかなという気もしますからね。

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